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第17回糸満の歴史と文化研究会 ユッカヌヒー関連行事について

 

2018(平成30)年5月16日(水)18:00~20:00                     西区公民館

 

第17回糸満の歴史と文化研究会

ユッカヌヒー関連行事について

                   講師 金城 善(糸満の歴史と文化研究会)

 

   はじめに

 本日は、旧暦4月2日であり、6月10日の旧暦4月27日には山巓毛でハーレー鉦が鳴らされ、山の口が開き、6月17日の旧暦5月4日の

ユッカヌヒーには糸満ハーレーが行われる。それまでのユッカヌヒーに関連する行事について、考えてみたい。

 

 1.ユッカヌヒー前の民俗行事

 ①ヒーダチヌウグヮン

 旧暦の4月10日以前の吉日に、ヒーダチヌウグヮンが行われる。

 「1 糸満の漁業地たる所以」でも紹介したとおり、糸満の海岸には、シジャー(ダツ)という魚が多くいて、跳んで人に危害を加えるものので、

これを退治するためのウグヮン(祈願)である。

 沖縄県教育委員会が、昭和48年8月23日から31日までの間に、国庫補助を得て、文化庁の指導のもとに糸満漁業民俗資料緊急調査が実施された。

 そのときに、糸満の年中行事について、古老らから聞き取り調査を行った湧上元雄氏(当時、琉球大学教養部助教授)は、『沖縄県文化財調査報告書 糸満の民俗 糸満漁業民俗資料緊急調査』の「糸満の年中行事(旧暦)」の中で、ヒーダチヌウグヮンを、次のように報告している。

  ○ヒーダチ(またはヒーラチ)ヌ

  糸満の村ウガミは(1)正月朔日のサレーヌウガミ、(2)ヒーダチ、(3)5月4日、(4)8月13日から15日までの4回の行事をさす。これには、村ビン、

根人ビンが供えられ、神人のほか各区から2人ずつ選出された総代16名も、原則として参加する。そして、ヒーダチと8月10日は、白銀堂で村人の

共食も行われた。

  ヒーダチには、正午ごろから白銀堂に神人や総代たちが集り、四枚鍋のかまどを据えて、魚や豆腐を煮て、神前に魚や塩で味付した豆腐、生の

イノーンイユ(磯漁)を斜めに厚く切ったシラベーシと大餅をスーリー(皿)に供えてから、祝女、根人、大殿内のに上げる。つぎに戦前は老人を

やとって赤い鼓を鳴らせて村中にふれさせ、村人をあつめて共食させる風習があった。それがすむとスーチに行って祈願がある。

  この御願の起源は、昔糸満の近海は長くて鋭いくちばしのあるシジャー(和名だつ)のような魚が繁殖し、海中や磯道を通行する村人まで危害に

遭ったので、それを払いのけて下さるようにとの祈願であったが、いつの間にか魚が減少するにつれ、大漁の御願に変ったという。

  また一説には、かつての糸満地内は入江や低湿地が多くて、住居や耕作に不自由したので、海を干上らせて陸地をふやすようにという祈願であったともいう。

  神人たちはイービヌメー、ウサワン、スーチ、殿内屋、祝女殿内の順に巡拝する。費用はもとは各区の総代が各戸から徴収したが、現在は市役所から受領してこれにあてる。4月10日以前の吉日に行のう。

[『沖縄県文化財調査報告書 糸満の民俗 糸満漁業民俗資料緊急調査』102頁]

 

 私は、このときの調査の案内役を仰せつかり、調査に訪れた先生方の側で、古老らから貴重なお話を一緒に聞く機会に恵まれた。

 糸満の各門中でも、ヌンドゥンチからの触にしたがい、門中行事として、この「ヒーダチヌウグヮン」に参加していたが、現在はムラ行事として

行っているか不明である。

 

 ②アブシバレー(畦払い)とヤマドゥミ(山留め)

 アブシバレーは、旧暦4月20日後の吉日に行われるムラ行事のことである。この行事は、元来田植えの後に、の草取りを行い、そこにいる虫を

捕まえて、草で作った舟に乗せ、沖へ流すというものである。そのときに、虫が再び戻ってこないように(発生しないように)と呪文を唱えたという。

 特にこの日は、針仕事などをすることは禁忌とされ、これを犯したものはハブなどの長いものに咬まれるといわれた。

 アブシバレーが行われてから、ハーレー鉦が鳴る旧暦の4月27日までの間をヤマドゥミ(山留め)とした。

 ヤマドゥミの期間中は、山に入って木を切ったりすることが禁じられた。作物の順調な生産を図るための、物忌みの一つと考えられている。

 これについても、湧上元雄氏「糸満の年中行事(旧暦)」から見てみることにする。

  ○アブシバレー

  20日以後の吉日にアブシバレーがくる。この行事は、本来畦の除草、害虫の駆除をし、おわって角力や馬勝負などを催おす、歓農の行事であつたが、白銀堂での祝女の祈願の内容は、シジャーの害から漁師を守つて下さるよう、海上の安全と大漁の祈願が主であるという。祝女の祈願がおわると、人々は山留みという物忌みも生活に入り、山入り、すなわち山にはいつて木を切つたり、お嶽に立入つて祈願するのは禁止され、27日に山巓毛でハーリー鐘が鳴るのを待つて解除される。これを山ヌ口アクンという。そして、糸満の町はハーリーにむかつて大きく始動する。

[『沖縄県文化財調査報告書 糸満の民俗 糸満漁業民俗資料緊急調査』102頁]

 

 ③ハーレー鉦が鳴らされ、山の口が開くまで

 糸満では、旧暦の4月27日の早朝(午前5時)に、山巓毛で糸満ハーレー行事委員長がハーレーガニ(爬龍鉦)を鳴らし、ヤマドゥミで閉ざされていたヤマの口を開ける。

 これによりハーレーの節に入る。

 昭和54年の『沖縄タイムス』に、「ハーリー鐘は代々”町長”の役目だった。ここ数年前から糸満市ハーレー実行委員長にかわり、現在は上原徳助漁協組合長が役目を務めている。」とある。

 

 ④ワカシバーレー

 湧上元雄氏は「糸満の年中行事(旧暦)」で、次のように報告している。

  そして、もとは27日から5月3日までは、各村から2艘ずつ出す舟の選定にワカシバーリーという競漕が行われた。選ばれた舟主は最高の名誉とされ、舟は三箇年間はウグヮンしなくとも大漁すると信じられた。しかし、最近は適当な舟が少なくなり、グラスファイバー製のハーリー専用船が登場してきた。

[『沖縄県文化財調査報告書 糸満の民俗 糸満漁業民俗資料緊急調査』102頁]

 

 2.大里の山川ノロによるハーレーのウグヮン

 ①山川ノロのチータチウガミ

 旧暦5月1日には、糸満市字大里の島尻大里のろによって、チータチウガミ(朔日拝み)が行われる。神々に対し、ユッカヌヒーの行事への案内と行事が無事に進行できるようにと祈る。

 山川ヌンドゥンチの母屋には、ヌルの御香炉が、2つ祀られている。一つは、白い御香炉で、王府より辞令を受けた山川ヌルを祀るものである。フニシン(骨身)は、クチャードー(古茶堂)と称されるところにある御墓に葬られているという。この墓は、土地改良に伴い、現在はビニールハウスの近くに移設されている。

 もう一つは、紺の御香炉で、桃原ヌルと呼ばれる方々を祀ったものである。フニシンは字大里の古島にある西平腹の側のヌル墓に葬られている。

 トゥムユシヌウタキ(友寄の御嶽=東リ山)と玉寄の御嶽とは、別の御嶽で、南山マキウチにあるという。

 大里でのウガミで重要なのが、ウィキーヌビンとウナイヌビンである。ウィキーヌビンというのは、兄部の瓶ということで上ン門按司のビンである。ウナイヌビンというのは、妹部の瓶ということで山川ヌルのビンである。

 申年に行われたチータチウガミのグイス(唱えことば)は長いので、ここでは割愛する。

 

 ②糸満の高嶺拝見によるウグヮン

 糸満ののでは、旧暦5月3日に、白銀堂、殿内屋、スーシ、アナギ(沖の島)、真栄里のユノーシ浜にある宮、大度のンマヌファ(午の端)ヌ御嶽、砂丘にあるイビ、クガニ、リュウグー(竜宮)の3箇所、伊敷(国元)において、前儀式としてのウグヮンを行う。

 高嶺拝見のアサギには、並里仁屋が寄進した香炉がある。またそこには、高嶺按司の香炉とイビの香炉がある。

 

 ③その他の動き

 大里の山川ヌンドゥンチの玉城さんによると、昭和30年ごろは、ユッカヌヒーの前になると、山川ヌンドゥンチから糸満のヌンドゥンチへ、から取り出したウジラーマーミ(ハタマメ)を、1升5合ほど持っていった。

 ユッカヌヒーには、アガイスーブの後に、昼食を糸満のヌンドゥンチでいただいた。そのときに、この豆を煮たアマガシ(ぜんざい)が出されたので、ごちそうになったという。

 糸満の下茂腹門中の上原亀次郎さんによると、ユッカヌヒーの前になると、下茂腹門中の子孫が、山巓毛を浜砂で清めたという。戦前・戦後を通じて行っていたが、いつの間にかやらなくなってしまったという。

 

 3.ユッカヌヒー当日の神事

 ①糸満入口でのサカンケー

 ユッカヌヒー当日、島尻大里ヌルは馬に乗って、山川按司方の神事を司る上地腹、上ン門腹の神役をお供に、馬佐事やメーイー(前居)の先導により、大里を未明に発ち、照屋を抜け、糸満小学校の北側の道を、眼下に報得川を眺めながら、糸満に向かう。

 一方、糸満ヌルをはじめ、居神、根人、根神、大殿内の神役は、村人と共に、殿内屋の東側で待機し、大里側の到着を待った。

 島尻大里ヌルらが、糸満入口にさしかかると、糸満ヌルらは、ウサカンケーといって、手厚く迎える習わしがあった。糸満ヌンドゥンチで、一休みしたら、ハーレー行事の最初の祭場である山巓毛に、いっしょに向かう。このウサカンケーは、現在は行われていない。

 

 ②山巓毛でのグルウグヮンのサンティンウガミ

 グルウグヮンのサンティンウガミとは、ウグヮンバーレーが、無事に漕げますようと祈る拝みである。山巓毛で、まだ夜も明けやらぬ早朝に行われたことから、グルウグヮンと呼ばれた。グルとは、グルグルするとか、グルサンなどのように、早いを意味することばで、早い時間の拝みということである。

 しかし、現在はハーレー行事の進行との関係で午前9時頃に行っている。

 グルウグヮンには、大里側から島尻大里ヌル・イガン・ニーガン・ニーチュ・ニーブーらが参加し、糸満側からは糸満ヌル・イガン・ニーガン・ニーチュ・ニーブーのカミンチュに、出発の旗を振る徳屋の当主が加わる。

 字糸満の門中の宗家からも門中のビンが出される。また、ハーレーブニ(爬龍舟)を出す家からもビンが出された。今は、各ムラからビンを出して拝んでいる。

 山巓毛に詣でた人々は、そこに設けられた5つの香炉に、火を灯していない線香を12本(平たい線香2枚)を3つずつ供え、その上に花米を一つかみ程度パラパラと供え、ビンから杯に注いだお酒をその上に掛けて、カミンチュからの声がかかるのを一同席に戻って待つ。

 香炉への供えが、ひととおり済んでいることを確認し、「リー ティーカミヤビラ(では、拝みましょう)」の合図に合わせて、「アガリミチブシ(東の三つ星)」の香炉を通して、東の方を拝む。「アガリミチブシ」というのは、東の空に輝くオリオン座の三つ星のことである。その星が上がってくるところに南山城跡がある。南山の王を拝んでいるのであろうか。

 次に、西に向きを変えて、トゥイヌファ(酉の端=西方)の香炉を通して、ルーグシン(竜宮神)を拝む。そして、北に向きを変えてニーヌファ(子の端=北方)を拝み、向きを反対に変えて、南の方のンマヌファ(午の端=南方)を拝む。最後に東の方のウヌファ(卯の端=東方)を拝む。

 四方を遥拝が済むと、カミンチュたちは、両ヌルと盃を交わして、また他のカミンチュとも盃を交わして、山巓毛でのグルウグヮンを終える。

 そのときに唱えるグイスは、次のようなものであった。

 

 今度何年ガ年ガムトゥ、五月四日ヌ日、東リ三ツ星、子ヌ端、午ヌ端、卯ヌ端、酉ヌ端ヌ四角、三国四国トゥヌ取交、御恩上ギヤビラ

 西村ヌ何処(屋号)カラ何相(干支)ガ、1番ウェーク漕ガビタンドー、按司ガ舟、神ガ舟、今度五月ヌユッカヌヒー ヌ 儀式挙グヤビーン

 グルウグヮンのときは、盃を用いるが、アガイスーブのときはチャワンザキ(茶碗酒)で、儀式を行うという。

 

 ③徳屋による旗振り

 徳屋の当主は競漕の出発係からの合図を待って、旗を振り降ろすまでは山巓毛に残り、他のカミンチュは、白銀堂へと向う。

 徳屋の当主が出発の旗を振り降ろすとウグヮンバーレーが勢いよくスタートする。

 

 ④白銀堂でのウグヮン

 白銀堂では、カミンチュらによって威部・御嶽などの拝所の香炉に線香などを供え、ウグヮンを行い、ハーレーシンカの来るのを待つ。グルウグヮンの競漕を漕ぎ終えたハーレーシンカは、白銀堂へ競漕の報告とカミンチュの祝福を受けにやってくる。

 

 ⑤白銀堂でのハーレーシンカの歌

 ハーレーシンカが競漕の報告をすると、カミンチュから祝福を受け、白銀堂内を円陣をつくり回りながら、ハーレー歌を歌う。

 

 ⑥スーシでのウグヮン

 次にカミンチュらは、スーシという海岸縁にある拝所でグルウグヮンの締めのウグヮンを行い、またアガイスーブのウグヮンを行う。

 

 ⑦アガイスーブのウグヮン

 そして、山巓毛へ戻り、アガイスーブのウグヮンを行い、ヌンドゥンチ(祝女殿内)でアガイスーブのハーレーシンカの来るのを待つ。

 

 ⑧ヌンドゥンチでのウグヮン

 アガイスーブが済んで、ハーレーシンカがヌンドゥンチにやってくる。

 ヌンドゥンチの屋敷に入る前には「ウジョ入リバ香バサ…」の歌を必ず歌う。

 ヌンドゥンチでは、ヌルヒヌカン(のろ火の神)やヌルのグヮンスに火を灯した線香を供え、カミンチュと共にアガイスーブの報告をする。ヌルらから祝福をいただく。

 

 ⑨ハマウリー

 ハーレーが終わった港では、海で親族を亡くした家族によってハマウリーが行われ、この日の民俗儀礼を終える。

 

 4.各家庭でのユッカヌヒーのウイミ

 当日の朝、ユッカヌヒーのウイミとして、ウグヮンス(御元祖=先祖の霊)に、赤飯とアーサンスル(ヒトエグサの汁)、そしてグンボー(ゴボウ)の煮つけを供え、それからハーレーを見に出かけたという。昼や夜は特に何かお供えするということはなかった。

 現在は、グンボーに豚肉やコンニャクをいっしょに煮しめたものを供える家庭が多くなった。

 その外に、サーターアンダーギー(砂糖天ぷら)やアカカンブク(赤かまぼこ)に、揚げ豆腐、エビの天ぷらを皿に盛って、チャワキ(茶うけ)として供えている。

 このころのゴボウは、グングヮチグンボーといい、ハーレーのときの料理としては、定番である。

 社団法人農山漁村文化協会(農文協)が、昭和63年4月25日に発行した『日本の食生活全集47 聞き書 沖縄の食事』に収録された「糸満の食」に、四季の食生活として「ハーレー」の日の食が、次のように紹介されている。

  はーれー 五月四日は海の祭り「はーれー(爬龍船競漕)」が行われる。はーれーに出るため、遠洋漁業に出た男衆も帰ってくる。さばにを漕いで競争する男の姿は勇壮なものである。女たちは太鼓をたたいて応援する。

  この日は、ごぼうの煮つけや、大皿盛りにした魚の丸揚げ、さーたーあんだーぎー(揚げ菓子)、豚肉の煮しめ、かまぼこ、豆腐をたっぷり出し、刺身やあまがしもつける。ごぼうの束をいくら使ったかで、その家の親類、お客の数の多かったことを自慢にする。あまがしは、桶一杯つくり、舟を漕ぐ人、見物に来た人にもふるまう。

[『日本の食生活全集47 聞き書 沖縄の食事』78頁]

 

 5.ユッカヌヒー翌日のグソーバーレー

 翌日の5月5日は、目には見えないが、海で遭難してグソー(後生)に行った人つまり海で亡くなった人たちが、あの世でハーレーを漕いでいる、グソーバーレー(後生の爬龍舟)が行われているということで、漁に出るウミンチューはいないという。

 しかしながら、かつてハーレーの翌日にみんなに刺身をごちそうしようとして、漁に出た人が遭難したという話が伝わっている。

 

 6.真栄里でのハーリーウグヮン

 字真栄里でもユッカヌヒーのハーリーウグヮンが行われ、仲間門中ではグソーバーリーの行事もあったという。

 ハーリーウグヮンには、リューグーでビンと片重箱で拝んだという。

 明治期の前までは、ユノーシバマ(ヨナヨシ浜)で、ユノーシハーリーが行われたという。

 

   おわりに

 私たちは、ユッカヌヒーのハーレー行事は、小さい頃から見聞きしているので、知っているように思っているが、以外と知らないことが多くある。

 ユッカヌヒーのハーレー行事は、その当日だけの祭だけではなく、年中行事の一つひとつの積み重ねの中に位置付けられている。

 それぞれの行事を関連付けて見ていくと、先人が自然との調和の中で生活していたことが、垣間見えてくる。

 

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